この記事は2020年ふりかえりアドベントカレンダー 3日目です。昨日の記事は Rubyリファレンスマニュアルを修正する方法 です。
ノナちゃんたちと僕と、「私(あなた)」の対話
数学ガールの秘密ノート/学ぶための対話 (数学ガールの秘密ノートシリーズ)
- 作者:結城 浩
- 発売日: 2019/11/23
- メディア: 単行本
読んだきっかけ
udzura さんにオススメしてもらって読みました。 udzura さんのポッドキャスト On The Pavement • A podcast on Anchor vol.4 でも紹介されています。
「わからない」ことへの気持ち
今まで正直なところ、わからないことをオープンにしたくないと感じていました。
質問がいいことである、という知識は知っていますし、現在私が学び舎としているフィヨルドブートキャンプは質問を歓迎してくれる場所です。
それはそれとして「わからない」を表明するのは怖いです。未だに慣れません。
自分だけがわからないんじゃないかーとか、
実はググったらすぐ解決することなんじゃないかとか、
説明してもらってるのにわからないと申し訳なくなるし、
説明してもらってる内容に追いつけないときとか、ゆっくり理解したいって伝えるのは怖いし、
わからないことをなにがわからないのか言葉にして伝えるのも難しいし、もう大変大変!と思います。
そういうとき自分の場合は わかり を後回しにすることが多いです。わからんから後で自分一人で落ち着いて考えよう、と考えがちです。
ですが本書を読んで、そういう心持ちはなんだか違うかもなあと思いました。
自分の理解に関心を持つ
今は、「わからない」と思ったときにもっと自分の理解に関心を持つほうが良いのかなと思っています。
自分の理解に関心を持つとは、学ぶときに自分が本当に理解しているだろうかとたしかめることです。慣れないうちはむずかしく感じますが、理解したかどうかに誠実であることが大事だと思いました。
理解しているか確かめたいときには、「例示は理解の試金石」という言葉を使うことができます。これは、
- 具体例を作ることができれば、理解している。
- 具体例を作ることができなければ、理解していない。
という判断に使える、とても素敵な贈り物です。
「例示は理解の試金石」で、理解できているかを判断し、わからないときにはわからないことを伝え、「全部わからない」ではなく、「ここまではわかる」と言語化していく練習が必要だと思っています。
「先生」になる
本書では教わる側だけではなく、教えるということもテーマとして書かれています。その中で出てきた「先生」の定義がとても良かったので紹介します。
先生は、相手の理解を助けることを目的にしています。答えを教えることが目的ではありません。
私は人に教えるときに、どういう心持ちで教えればいいんだろう..と悩むことがありました。例えばプログラミングの質問であれば、うまく教えられなくて安易に「こう書けば動く」みたいな回答をしがちでした。ですが「相手の理解を助ける」という指針を持てば方針に迷わず対話できそうです。
また、自分自身が自分の先生になることもできます。この記事も、うまく言語化できなくてなんもわからん…という気持ちになったときに自分の中の先生に「何がわからないの?」と問いかけてもらってなんとか書き進めることができました。
自分自身が自分の理解を助ける先生になる、ということは「自分の理解に関心を持つ」ことにもつながるのでいいんじゃないかなと思います。